奥様は、パーキンソン病で全身の筋力が低下して、まったく動けません。
食事をとることも会話をすることもできない状態でした。
おじいちやんは大正生まれの戦争経験者
「戦地満州から弾薬を船に積んで九州まで帰ってきました。
日本に戻って1週間後、博多に入った時に終戦になりました。
弾薬を積んだ日本船5艘の一番先頭の船におりました。
途中、後ろに付いていた3艘が魚雷で・・・一瞬のうちに水柱とともに見えんようになりました。
ワシが乗った先頭の船と、一番最後の船だけが日本に帰ってきました。
仲間がようけ死にました。
満州に残った兵隊は終戦後シベリアで鉄道工事の過酷な労働を強いられて
可愛そうな事でした。
仲間が大勢死にました。
ワシは、運が良かった。。。。。。」
91歳にしては、体も元気で滑舌もはっきりしておられました。
「家内は、病院に入院させましたけど・・・
ベッドに手ぇを縛りつけられて、ワシは医者とやりあいましたが、
縛りつけることをやめてもらえず、
人間として、そんな介護の仕方は許せんので
自宅に連れて帰って、ワシが看ております。
若い時から柔道をやっておりますので、ワシは丈夫です。
もう、動かんようになりましたけど、よう尽くしてくれたんですわぁぁ~
3年ほど前までは、美容院が好きで
ボランティアの散髪では嫌や言うて・・・・・パーマをかけてやりたいんです。
首が動かんのですけど、襟足やらスッキリしてやってほしいです。」
襟足のカットや、パーマを巻くときは、おじいちゃんが首を持って
助手をしてくださいました。
超特急で施術
(トリートメントがどうのと言うレベルではありません!必要な事だけ。)
どやさ~*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆
仕上がった時、一瞬自力で首を上げられました。
薄く目も開いたように見えました。
「おぅっ♪
若返って綺麗になったわい。
病人には見えんど)^o^(」
帰りはおじいちゃんが、車イスを押して送迎車までo(^-^)o
ヘルパー資格を持つスタッフ Hiroが車いすごと車内に乗せて固定。
おじいちゃん、愛おしそうにすぐそばに座って帰られました。
病気せん様にして、100歳まではワシが面倒を見る自信があります。
不正に福祉のサービスを受たがる人がいる一方で
気丈にも、自力で頑張るおじいちゃん。
元日本兵、日本人気質を感じました。
本日もありがとうございました。
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