2012. 5. 4
のんばぁ
私は不思議な人~
前から不思議な人だと思っていました・・・
神様からお借りしている肉体は~の考え方で
パワフルなのも、幸せをつかまれる理由、人を大切にされる理由も。。。。。。。
(あんまり褒めて頂いて恥ずかしいので)以下省略
そんなメールを頂きました。
私は不思議な人やと思われていたんや!!
自分はフツーで自分がすべての標準やとおもっていたのに・(笑)
のんちゃんは宗教家ではありません。
が
じいちゃんが熱心な宗教家でした。
教祖様でした。
自分の身の上に起こる事は、全て自分に必要な事である。
難儀な事が降りかかってきても、
逃げずに片付けて行かないといけない。
逃げると、又同じ様な試練に見舞われる。
一つづ片付けていくことで自分が成長して、
再び同じような難儀な事に遭遇しても
パーアップしている分、簡単に処理出来るのである。
この降りかかってくる難儀は、生きている間の課題であると。
たくさんの課題を解決していくことで、
知らぬ間に力がついて人を助けることも出来るようになる。
そして、
今まで自分の力で何でも片付けて、
生き抜いてきたと思うのは間違いであって、
見えない力に支持されてやらされているのである。
やらなきゃ仕方がないように全て仕組まれておるのである。
つまり自力で生きてきたのではなくて、
見えない力に導かれて現在があるのである。
今日こうしてここに自分が存在できるのは、
見えない力、他力(神様・仏様)のお蔭
他力に感謝して日々生きよ。
他力本願
一般的に「他人の力に頼って事をなすこと」という意味で使われることが多いかと思います。
でも、仏教用語であるこの言葉の意味はというと…
「他力(阿弥陀仏)の本願」を意味する仏語。
自らの修行の功徳によって悟りを得るのでなく、阿弥陀仏の本願によって救済されること。
私が人工股関節になったのも 必要があったのです。
意味があって痛い目にあったのです。。。
おかげて、人の痛みが解かる人間になりました。
(以前はとても高慢な嫌な女だった、今 思い出してもぞっとします。)
そう思うと
頑張りすぎることも怠けすぎることもなく、楽に自然に暮らせるのです。
幼いころからじいちゃんに教えられました。
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